ジョンの死「レッド・ツェッペリン」

DSCZep「ジョンが死んだって!」友人が悲壮な声で言った。「え?今ごろ何言ってんの?」「殺されたって」「…そうだなぁ、ウォトカ飲み過ぎて、吐いたものが喉に詰まって窒息死じゃあ酒に殺されたようなもんだよなぁ」「ダコタ・ハウスの前だって。」「…ん?えっ!ジョン?たいへんじゃん!」そこでようやく、彼の言うジョンがレノンで、私の言うジョンがボーナムだということに気付いた。1980年の冬のことだった。

レッド・ツェッペリンの名前は知っていた。しかし、レコードを聴いたことはなかった。アテネ・フランセで知り合った可愛い女の子の口から、その名前が出た日の午後、私は御茶ノ水のディスク・ユニオンに走った。もらったばかりのバイト料で買えるだけのアルバムを買った。そしてその夜から毎晩、聴きまくった。1976年の春、彼らがデビューして8年も経っていた。

遅れてやってきた“にわかZEPファン”は、動機が不純なだけに、すぐにのめり込んだ。「移民の歌」「タンジェリン」、ロバート・プラントのボーカルが胸に染みた。三大ギタリストの中ではジミー・ペイジのギターが一番好きだとうそぶいた。「モビー・ディック」、ジョン・ボーナムのドラムスに塞いだ気持が救われた。穂高のザイテングラートを登りながら、「天国への階段」を口ずさんだ。…不純な動機は既に昇華されていた。

ウォッカを飲みすぎ、自分の吐瀉物で喉を詰まらせ、亡くなったボンゾ。1980年9月のことだった。前の年に発売された久しぶりのアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」が私にとって最初で最後のリアルタイムで購入した一枚となった。ジョン・レノンが亡くなった数日前にレッド・ツェッペリンは解散を宣言していた。ツェッペリンに出会うきっかけをくれた可愛い子は残念ながら大切な友人となった。そして残念ながらライブを観ることはできないけれど、ツェッペリンは繰り返し聴き返す大切なアルバムとして残った。

・・・1980年9月にボンゾが亡くなり、12月にZEPが解散。同じ月にジョン・レノン没。あれから25年。もうすぐ12月。ちょっと寒い夜、そんな日に。

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